とっても悲しいことが起きたなら
運命というもの
最近、とても悲しいことがありました。
平常を装ってはいますが、しばしの放心状態です。悲しいのに未だ泣けていません。人にも報告ができていません。人に話すと、それが現実に起きたことなのだと認めて、そのことと向き合わなければならないから、多分避けているのだろうと思います。
人生には、自分の意思ではどうにもならないことがあります。
「どうして?」「何か悪いことをしたのだろうか?」などと考えても、答えは見つかりません。この、『運命』というものにはいいこともあるけれど、悪いこともあります。時間をかけて、受け入れるしかありません。
自分自身に向き合うこと
ぽっかりと心に穴が空いてしまった私。
こんなときこそ、自分自身の今のことを考えてみます。
たとえ悲しいことがあっても、自分は案外幸せな人間なはずなのです。
(1)ご飯が食べられる
世界中に、お腹を空かせた子供達がいます。
自分はお腹が空いた時に、なんでも好きなものが食べられて、お腹がいっぱいだと残したりする贅沢まで与えられています。
空腹を抑えるためにシンナーを吸う子供達を私は昔、ルーマニアで見ました。盗まれるから、洗濯物は外には干せないと言っていたルーマニア人の友人のお母さんに、私は3ヶ月分の家賃を(貸すというのは名ばかりの)寄付したこともありました。その家族は、娘さんが夜の仕事をして、家族を養っていました。
娘に働きに出てもらわなければ家族を養うことができない。母親は娘を、夜になると仕事場まで送り届けるのです。そして朝方迎えに行く。幸せな日本に生まれた私たちに、そんな生活をしている家族が他の国にあるなんて、想像ができますか?そんな友人家族を、私は見ていられなかったのです。
(2)好きなことが仕事にできている
一生をかけられる好きなことが、生まれてすぐに見つかったのは、本当に幸せなこと。そしてそれに、1日の大半の時間を費やし、一生続けていける。とても感謝すべきことです。
(3)愛する家族がいる
嬉しい時に一緒に喜べて、悲しい時に一緒に悲しめる、愛する家族がいます。ありがたいことです。
温かい家に住めて、美味しいご飯が食べられて、愛する家族がいて、好きなことで食べていける。外を見れば美しい自然があって、空を見上げれば青空と、夜にはまたたく星。
今ある幸せにまず感謝です。
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